11月7日(うら)

なんか日記じゃないかもこれ…異様な変なポエムでてない?ワシのポエミー精神、溢れ出てるね?ワシはただ「某保護室」みたいにポップに日記を書こうと思っていたのに。ひ〜ん。

じゃあここでは日常を描きます!

 

だいぶね、志望校厳しくなったゃ。

(ごめんワシ高3ね。よろしく。)

親はもともと「無理だろ」スタンスだけど、今日塾講師との面談で、ワシが「厳しいですよね〜ッ」って冗談ぽく言ったら「うーん、本番次第だ!」って……いつも「いや諦めちゃダメ!」とか言っててくれたのにさぁ…。

いやでもね、E判定ではないのよ。EよりのDですけどさ。Dのウンコ辺りだけどさぁ。まぁ、自分が一番分かってますわな。多分ダメって。

でも、ここで志望校下げても何も起きませんわ。

ウンコはウンコでも、最後まで粘るウンコが一番いいからな。下痢の時だって、便秘の時だって、最後に出たウンコめっちゃスッキリするじゃん?それと一緒よ。ぽれもウンコだけど、諦めないウンコ。諦めるのは、腸で通行止めになっただけでいいのっ!。

11月7日 いつかのそういう日

嫌々と、色々と考え続けた。ほぼ、今気づかなくてもいい、ストーブの燃料にしてもなんとも言われないようなどうでもいいことだった気がする。ふっと頭の檻から脱出できて、風呂のパネルを見たらもう20時だった。

手すりで体にグッと勢いをつけて、湯船から立ち上がる。

そのままガラガラと風呂の扉を開ける。

ひんやり冷たい空気が肌を覆った。43℃の長風呂に耐えたこの体には、丁度いい。

 

ドンッと、体の温度が高くなる特有の鈍痛が響いた。ドンドン、ドンドン、音が止まらない。耳の裏の血管がダクダクと飛び上がって、頭に赤色の血が流し込まれているか。心臓は激しく鼓動を進める。何かを求めた脳にじわじわ酸素が染みていく。

 

私はその快感に目を閉じて耐えていた。

すごく気持ちがよかった。世界の全てが、私の脳には快感になっていた。洗面台の薄暗い蛍光灯も愛おしかった。今ちょうど聞こえている、リビングからの両親が話すボソ声も。洗濯機が濁音を轟かせているのも。わからなくなってしまった自分のことも。全てが混ざりながら、耳に突き刺さった脳直通の、世界の一本の線をつたい、頭がいにゆっくり侵入して、脳梁に到達して。間髪も入れず私の脳に溶け込んでいった。私はここでやっと現実のコードが読み取れたから、少し嬉しくて楽しかった。適度に髪の水分を拭いて、耳かきして脱衣所を出る。

またやったよ、誤注文…

モスに来ています。

本当はチーズバーガーのセット頼むつもりが、意外と早くレジ通されてメニューから見つけられず、勢いのまま海老カツバーガー頼んじゃった…しかも870円て。外食するってマジ高いね。だから皆、コンビニでご飯すますんだ…

対面注文、普通の会話より苦手だわ。みんな画面でやってくれ。出来れば「電子マネーでお願いします」も言わせないで。

 

モスの会社設立が3月なの、めっちゃしっくりくる…プラスチックのストローで嬉しかった…

10月23日 じいちゃん

原信、というスーパーのイートインスペースにいる。受験という壁から逃げて、お昼休憩と題して寿司を食べにきた。

コロナ対策で席の間隔が空けられつつ10席ほど用意されたチェアには、昼時のいま、殆ど埋まろうとしている。ポテチの袋を開けてSwitchで遊んでいる男性、会話を絶やすことのないおばちゃん二人組。

客の出入りが激しい入り口の近くだが、このスペースだけ、日曜午後の穏やかな空気が流れている。

 

この原信というスーパーは、私の地元圏で多数出店されており、その中でも「原信 益田店」は、私と、母方のじいちゃんがよく買い物に行ったところだ。

じいちゃんは73歳。昔は国鉄の工場で電車を作る(人を入り口で見送る役員)をしていた。

かなり禿げ上がったシルバーヘアにキャップをかぶって、金縁メガネをいつも掛けている。猫背。

まさしく「じいちゃん」なじいちゃんだ。

 

 

じいちゃんは次女である私を、赤ちゃんからずっと心に掛けてくれていた。ちょっと過保護すぎるくらい。

中学生の頃までは、1週間のうち1回はじいちゃんの家に会いに行った。その時、おやつの買い出しで、じいちゃんと原信益田店によく買い物しにいった。じいちゃんと私は甘い物が大好きだった。蜜柑や葡萄、アイスクリーム、飲むヨーグルト、ゼリーとか、それはもう大量に買い込んで、婆ちゃんが待つ家に帰った。

婆ちゃんのご飯を食べて、テレビを見て、時にはそのまま、お泊りすることもあった。

こちらが忙しくて遊びに行けないときには、じいちゃんは、私の家に、この原信のレジ袋に私が大好きなオヤツをパンパンに詰め込んで、車でふらっと家に来てくれた。ニヤニヤして、顔にしわしわ皺をつくりながら。

私はそのおやつを食べながら、じいちゃんとテレビを見てダラダラするのが大好きだった。うちのママはちょっと厳しい人で、仕事から帰ってきて、私とじいちゃんがダラダラしているのを見つけるとちょっと怒ったりもした。

じいちゃんは昔、ママに恐ろしいほど厳しい人だったらしい。孫に対しての対応が大分優しいから、そこに嫉妬というか、思った節があったのかも、と今思う。でも結局、ママは私たちと一緒にオヤツを食べてゴロゴロする

じいちゃんは相撲が好きだった。ほとんど、じいちゃんが相撲にチャンネルを切り替えて、わたしがじいちゃんに「この力士は強いの?」とか、「今のは押し切り?」とか、対して興味もないけど質問したりして。そんなグダグダが好きだった。

 

私が高校生になってからは、私も家にいないことが多くなって、じいちゃんは車を運転するのが難しくなって。来てくれることは大分減ってしまったけど。

それでも私の家の近くに用があれば、原信で買ったおやつをもって遊びに来てくれた。たくさん甘やかしてくれるじいちゃんが大好きだった。

 

 

今年4月23日、そんなじいちゃんは死んだ。突然の心不全だった。

今年の春は寒かったから、風呂場の気温差で心臓がびっくりして止まって、そのまま湯船で死んでいた。婆ちゃんが見つけたらしい。

たしかに3年前から徐々に背が丸くなり、膝が痛くて趣味の卓球もできなくなっていたが。だからと言って、前触れのように衰弱する様子も見せなかったのに。余りに突然の出来事だった。

だけど葬式後、婆ちゃんが教えてくれたことがある。

じつは、じいちゃんは、持病の糖尿病が重たい状態だったみたいだ。ステージMAXだったらしい。

MAXて……。彼が、命の健康と引き換えにおやつを食べていたとは。そんなことも私に言ってなかったとは。

どんだけギャンブラーなじいちゃんだったんだ。

たまにその事を思い出してショックを受けつつも、じいちゃんが甘いものを幸せそうに食べている顔を思い出す。

 

原信というスーパーは、じいちゃんが大好きな甘いものの宝庫だった。私とじいちゃんが、原信に買い出しに行くことは、もう出来なくなったし。じいちゃんとオヤツを食べて話すことも、手を握ることも、もうできなくなっちゃったけど。

 

 

そして今、これを書いているうち、気がつけば背後のオバチャン二人組は消えて、イートインにいる人はとっくに少なくなっていた。

店内は客の昼過ぎのピークを超えて、余裕がやっと出てきてやれやれだぜ、というような表情を見せる。

 

気づけば、私は高校三年生になっている。じいちゃんは4月の甘々の顔のまま、私の記憶に残り続けている。

原信にいた甘々じいちゃんの元にもう、戻ることはできない。帰ることもできない。過ぎていくまま、人の記憶に残り続けたままだ。じいちゃんは最高の爺だったままだ。あ〜、じいちゃん会いたい。

 

今、一人で来た、原信のイートインから、これを送信する。じゃあね!

10月20、21日 宗教の瞳は美しい(なげぇ)

以前、家に一人で過ごしていると、インターホンが鳴った。急いで画面越しに確認すると、どうやら漢二人組が来たらしい。

中肉中背の男と共にいるのは、細身の爆裂にカッコいい、イケメン。

 

一抹の不安。イケメンがうちに来るなんて宗教の勧誘か私への求婚以外ない。もし宗教だったら親いないから押されるろうし、求婚だったら親いないから印押せないだろうし。

 

取り敢えず、玄関を開けてみた(絶対にダメ)。

こちらを見るなり中肉中背の男が、一人の攻勢なのを確認して少し目を細めた。二人の手には富士山の描かれた新聞が何枚も重なっていた。

 

くっそ〜〜、これは間違いなく勧誘だ。開けなければよかった。

横目でイケメンを見る。ぱっちりとした瞳は、こちらにアチチな熱視線を注いでいた。なんか、照れちゃった。

 

「わたくし、〇〇会からきた者です」

その新聞持ってんだから名乗らなくていいよ。

こういうのは長引くのが1番ダメだね、と思い、「新聞もらいます、ありがとうございます」と言って扉に手を掛けた。

 

「ちょっと、お話だけでも聞きません!??」(馬鹿クソデカ音量)

 

全然誇張してないです。ほんとにおっきな声で。町内響いてるから!!!なんで大声出しちゃうの!?!?

と、抗議の意を含めて、イケメンと男の目を見た。

 

 

目がキラキラ輝きながらこちらを見ていた。

 

ちょっとギョッとして体が固まった。

まさかキラキラな瞳だと思わなかった。

彼らの瞳は生力__生力というより希望の、小学生っぽい何かに満ち溢れていた。

ここ6年くらいを惰性と惰性のミルフィーユで生きてきたワタシにとって、久しぶりに見る、夢を孕んだ瞳だった。

 

「僕たちは毎日このお告げを胸に、暮らしていまして…」

全く話はさっぱりわからないが。紫色の縁から視線を逸らさずフリーズしてぐるぐる考える。

 

ああ、惰性で生きたこの6年、私だけでなく私の周りの人でもこんな生き生きした瞳を持ったやつはいただろうか。

ちょっとでも人々を導いて幸福にしたいという思いで勧誘をしている、純粋な思いでこの勧誘を行なっている彼ら。彼らは多分絶対的な希望が見えているからだ。「生」を実感しながら、「先生」に祈り感謝しながら。

 

この前noteで読んだ、宗教勧誘の人と対話をする記事を思い出した。その記事作成者は、勧誘をしてくる信者の人は、ほとんど穏やかな人だ、余りにも普通な人とも言っていた。

 

貫ける信念がある彼らが、ちょっと羨ましくもあるな…。

 

こう、宗教って「やばい」イメージで捉えられがちだけども。(現に、多額の献金問題で宗教自体が悪徳なこともあるけどね)

 

一つの希望を与えてくれる存在として、「神」や「先生」がいることは生き方に多少、アクセントを入られるのかな。と、未熟な私、思ったわけであります。

 

そして同時に、無宗教のわたしたち、すなわち宗教思想が根付いていない日本において、ある一つの絶対的な導きがないことで、日本人は「日本人」として生きているのでは、と思った。

日本人が集団意識つよつよなのも、もしかしたらそれが一因になっているのかもな、と。

 

 

その後20分も分かりずれぇを聞いて、私のカスのコミュニケーションでなんとか話を切り上げて、漢二人組は去っていった。私の手には、よく見る新聞が残った。

 

私の導きってなんなんだろう。私は何を目的で、これからを生きるんだろう。

pixiv?エロ?小説ランクサイト?とか思いながら、生きる意味とは考えさせられながら、玄関のドアを閉めた。

10月19日 予備校フレンズほしいね

高3秋、予備校に通っておます、高峰です。

今は丁度、花の進路決定期でありまして。

このわたくしも、程々に予備校に通い、進路実現に向けて歩みを進めている最中ジャス!!!

 

なんか、前置き思いつかないわ。

長い前置きって日記の消化に悪いし。もう、言っちゃうわ。

 

 

 

予備校でトモダチ欲しいね…………

 

 

トモダチ……トモダチ………

 

 

 

勉強する場所に交友関係なんていらね〜だろ、って自分でも分かってます。私も半年前まで、馴れ合いしてるやつ見て「うわ、コイツら……」って思いました。

でもね、こう受験がいよいよ近づいてくると、人と励ましの言葉をかけ合いたくなる。

「うわ〜明日の記述模試やべ〜」「いやお前頭いいんじゃん(笑)」みたいなダル会話、逆に言い合いたいんだよ!ダル会話で脳溶かして休みたいの。

ダル会話から軽減ができていないワタシ、諸々の人生の大事に一人で向かいすぎて、溜め込みすぎて圧死しそう___________

 

でも、トモダチがいたらいたで、予備校に“弛み”ができちゃうし。それよりワタシ、

コミュニケーション下手だし………トモダチ以前の問題だし。誰か話しかけて〜〜!!!!!!!!!!!!!

てか周りの子、予備校フレンズ作れてるし…晩御飯、フレンズと食べたいよ〜………笑い堪えて金属バット無問題とかちいかわとか見るのも楽しいけどさ…

 

 

10月18日

例えば頭痛の痛みレベルとか。

他人には解らない、自分しか感じてないモノの程度感覚。

それは自分の基準で決めていいし。

「他の子がこんなだから」なんて考えなくていい。自分の価値で考える。